※只今記事移行中の為、2018年の記録デス。
「グリコ展」は美術館の方であってるのですが、中の通路でつながってるので博物館から入っても行けます。
博物館入り口近くのカフェで、グリコ展とコラボの限定メニュー発見!
残念ながら、この日は月曜日でカフェはお休み。
でも、なんとなく自宅でも出来そうなメニューだからいいか。( ̄ー ̄)
ここからは江崎利一氏がグリコを生み出すまでと、いかに苦労して売り出したかのパネル展示。
小さい頃住んでいた生家。
利一が生まれた翌年、父親が薬種業を始めて、その家業を受け継ぎ、グリコ誕生の基礎を作ったそうです。
小学生時代のノート、ってすごくないですか!?
色々な商売をしたり、発明をしたりしたみたいデス。
「まんぷく」の萬平さんみたい。( *´艸`)
そして、いよいよグリコの誕生。
グリコが牡蠣から作られてる、って知った時は、驚いた。
甘いお菓子と牡蠣が同じものから出来てるなんて、想像できないですよね。(;´д`)
牡蠣の茹で汁に栄養豊富なグリコーゲンが含まれていることを発見した利一氏は、グリコを開発したわけですが、それを売るのにも色々工夫したようです。
この荷車で売り歩いたりしたのかな~。
活動写真が見られるグリコの自動販売機、なんてのもあったみたいです。
今回ARっていうアプリ?でその活動写真も見れました。
チャンバラ?活劇?みたいなモノクロの映像でした。
そして、商売が軌道に乗っても、生涯その努力を惜しまなかった利一氏の語録。
商売を始める方の、座右の銘にいかがでしょうか。(´艸`*)
利一氏は、松下電器産業の創始者松下幸之助氏とも深い交友があったそうで、生涯その友情は変わらなかったそうです。
気の合った二人はよく商売に付いて話し合う機会を持ったらしいけど、二人とも一文無しから始めたのでその集まりを「文なし会」と呼んだ、とか、
話す時はお互い大阪弁と佐賀弁だったとか、エピソードは数々あるみたいでした。
今でいうコマーシャル?
宣伝も色々工夫されてたようです。
読んでると、カタコトの日本語を話す外国人みたいになってました。(カタカナあるある)
そして、グリコのトレードマークの変遷
こうやって見ると変わったのが分かるけど、最初の頃は顔が怖い、と不評だったとか。
確かに、こんなおじさんが笑顔でバンザイしてたら怖いよね。(^▽^;)
そして、ハート型グリコの製造機
最初はハート形だったってのが、一番の驚きでした。
私が子供の頃は四角だった。
子供が生まれて、また買うようになった時も最初は四角だったけど、途中でハート形になった。
四角からハートになったと思ってたけど、ハートから四角になって、また戻った、ってわけね。
手作業でしか作れなかったので、途中から四角になったんだって。
旦那が、確か自分が子供の頃はハート形だった気がする、と言っていたのは本当だった!
だからって、旦那は戦中の生まれじゃありませんけどね~。(まぁ、近いっちゃ近いけど)(^▽^;)
本当だったのね~って、世代の違いを感じました。
でも、ハート形のグリコを作るのは利一氏長年の夢だったそうで、味が変わるわけじゃないのに、案外ロマンティストだったのかもね、とか思ったりして。
最後にグリコパッケージの変遷を年代ごとに、ご紹介。
確かに、キャラの顔、こえーよー。
コレコレ、買ってたー。
おまけの小箱の123って、懐かしすぎる。
3番目の息子が生まれた翌年にハート形グリコになってたんだー。
懐かしいな~。
今は買うこともなくなった「グリコ」だけど、おまけが一番の楽しみだったのよね~。
余談ですが、私の旦那は子供の頃、甘いものが好きじゃなったらしくて、遠足にお菓子を持って行っても、そのまま持ち帰るような変な子供だったみたいです。
今ではあんこもちとか食べたりしてますけどね~。(≧▽≦)